しらたまブログ

INTJの雑記

洗脳と自他境界

 

今、ビ・ハイアという会社のパワハラ事件でネットが騒然となっている。

監禁、監視、洗脳とキーワードが並べば誰しも戦慄してしまう。私自身もこのキーワードには何故かとても恐怖と共に興味をひかれ、過去北九州監禁事件や尼崎事件を詳しく追ったこともある。実際にこの事件を追ったジャーナリストの手記も夢中で読んだ。

 

何故ここまで興味をかき立てられるのか。

きっといつ自分の身に降りかかってもおかしくない恐怖と、得体の知れない人間の闇がそこにあるからだ。

こういう事件はいつも恐怖と共に何故、という疑問が頭によぎる。何故、逃げ出せないのか。何故ここまでむごいことが行われるのか。何故こんなにも公になるのが遅いのか。そういう疑問が、恐怖と共に好奇心を駆り立てる。

もし自分がそういう場に立たされたら、私は逃げることができるだろうか。多分難しい。ならばそういうがん細胞のような人間をせめて見分けることはできないだろうか。そう考えた時、ある共通点のある人物が思い浮かんだ。

ビハイア社長とよく似た人物と、私は昔出会っていた。

それは、アルバイト先の店長だった。とても大柄で恰幅がよく、顔の横幅が広いところはそっくりだった。

行動も今考えればもちろんおかしく、「うちで1番仕事ができるエースの○○君だ」と誇らしげに紹介されたのち、一ヶ月後に○○君はあっさりとクビにされていたり、業務時間外に呼び出され深夜にも関わらず長々と説教されたり、監視カメラの画像を一晩永遠見せられたりする人もいた。ビハイア社長に比べれば可愛いものだが、立派なブラックバイトであったし店長の威圧的で感情的なところはよく似ている。(YouTube等では朗らかに笑っているがどこか威圧的な表情と理性的でないと思わせる何かは拭いきれない)当時十代で初めてのアルバイトだった私はそれが普通なんだと思っていた。働くのはこれくらい厳しいものなのだと。もしこれで私が従順で組織に入って安心する性格だったなら、きっと自殺した大山氏と同じ道を辿ったのかもしれない。けれどそこは幸い(?)精神論が嫌いな性分と組織であろうと矛盾を感じると従えないINTJ的性格(と、あとただ楽に生きたい精神)に助けられ、私はさっさとそのアルバイト先を辞めることができた。

けれどまだあの頃は多感な十代だったので、二度とその店には近寄れなかったし、同じ系列のチェーン店にもしばらく入れなくなった。今はもう昔の話でそんなトラウマはすっかり消えたが、数年前ふとした風の噂でその店長が不祥事を起こし警察に捕まったと聞いた。やっぱりね、と妙に腑に落ちた。

 

こういった過去の経験から思うに、支配欲の強い人間はどこか自他境界が曖昧な人が多いんじゃないかと思う。

自他境界が曖昧な人間とは人と自分の境界、つまり人は人自分は自分といった感覚がわからないまま大人になり、人の領域と自分の領域の分別がつかない人間のことだ。

分別がつかない結果、人の物を勝手に使ったり奪ったり、もしくは自分のものなのに人に簡単に明け渡してしまう。

 

 

仮にビハイアの清水社長が自他境界曖昧凸型だとすれば、恐らく大山氏は自他境界曖昧凹型だったのではないかと推測してみる。

 

凸型の人間は人の時間やプライベートを簡単に奪うし、自分の中の非論理的なルールをさも常識のように言ってのける。冷静に考えればそれは矛盾だらけだし、本来踏み込んではいけない部分にまで土足で踏み込んでくる図々しさがある。

そういったジャイアン的資質をもつ凸型に出会ってしまった凹型は、自分の本来守るべき精神的防御壁を持たず全てを差し出してしまう。相手と融合しようとしてしまうのだ。

これは加害者被害者共に自他境界が曖昧なため起こった惨劇だったんじゃないか。もちろん、それだけではない洗脳という手法、身体的疲弊や恫喝による恐怖心があればどんなに境界線を引いていようと逃げ出すことは難しい。

 

けれど洗脳とはそもそも、自他の境界を崩す作業のことではないか。

 

それを踏まえた上で、この世に自他境界が曖昧な人間がどれほどいるか考えてみてほしい。言わなくても気持ちを察してほしがる彼女、他人の趣味や人生にあれこれ口出す会社の同僚、尽くして尽くしてそれでも捨てられた恋人…。きっとそれは特別な人種でもなんでもなく、すぐ隣の、身近な誰かのはずだから。

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INTJがスキゾイドに至るまで

INTJの女は人間関係に苦労する。

上手くいかなさ過ぎて自分は頭が悪いのだろうか性格が悪いのだろうかと色々原因を考えるがやっぱり解せない。MBTIを知ってからかなり腑に落ちた。この記事ではINTJの女がいかにしてスキゾイドと化したかの過程をざっくり説明しよう。

昔、人付き合いは色々難しいので(ほっといてくれたらいいのに女子ってほっといてくれない)試行錯誤を重ねた結果、長い付き合いの知り合いからは「お前は第一印象だけは神がかってる」と言われるほどになった。適度な友好的態度、柔和な笑顔と振る舞い、相手を不快にさせない会話と小さな気遣い、バランスの取れた周りに馴染む化粧とファッション、全て理屈で計算して取り入れた。

INTJにとってお愛想200%くらいで接するとわりと普通の人間ぽくなるらしい。女社会にいるINTJはかなり擬態する。多分見分けるのは難しい。でもこの状態はかなり頑張っている状態なので正直疲れる。妖怪が人間のフリをして街に紛れているのと変わらない。その時の心境は大体

早く人間になりたい。

 

 

 

 

 表面的には穏やかでとっつきやすい見た目とは裏腹に、内面はどんどんと疲弊していく。なんでみんなあんなに平気で人と楽しくしゃべっていられるんだろう。

INTJの女の場合、すごく無意味だと感じているものに時間と労力を割かねばならないジレンマに陥る。

無意味なおしゃべりができるかできないかを周りは重視し、つまらないうわさ話や芸能人の話を終電ギリギリまで付き合わされる。断って帰ったり、少しでも本音をもらそうものなら敵意を向けられる。(多分これは無意識だ)

これは私が地味で大人しいキャラ(に見えるだけ)のせいかもしれないが、うっかり本音に近い言動や「普通」を逸脱する行動をするとすぐに敵意がとんでくる。

「あれ、あなたってそんなキャラじゃなくない?」

「あなたそんな変なもの好きだった?」

「どうせ何かドラマの影響なんでしょう?」

 

他人が自分の想像の範囲内に収まらないと気が済まない人、多いよなぁ。人は案外人の意外な一面を受け入れようとはしない。なんなら平気で人の価値観を否定してくる(よくあるマウンティングの一種だろう)。これにスキゾイドの持つ心理的特徴、侵入不安が強く反応する。自分を勝手にこういう人間だと定義づけられるのも、こうじゃなきゃおかしいと他人の価値観を押し付けられるのも、こうしたらいいなんて頼んでもいないアドバイスでコントロールしようとしてくるのも、うんざりだ。

私はいつまで擬態してればいいんだろう。本音や本当に好きなものはいつ表現すればいいんだろう。だんだん擬態がめんどうになってくる。

そんなわけで、人に対する視線が乾いた木枯らしのごとく冷えきった私は、人に期待することを止めた。プライベートに口を出されるのが嫌なのでなるべく仕事と割り切って礼儀的な会話に留めた。陰口は私ではなく相手の品性の問題として切り離した。感情的な人間を見ると心の芯から冷めていくようになった。人との係わりで好かれたいとか楽しみたいとか微塵も思わなくなった。人とかかわるのはお金のためでしかなくなった。こうして立派なスキゾイドが生まれた。

 

合理を追及すると人はスキゾイドに近づくんじゃないだろうか。

 

 

 

INTJの女とは

 

MBTIブログはわりと存在しているが自身がINTJであるという人間の考察記事は思ったほど見かけないので私自身のことを書いてみようと思う。

私はINTJ-Aの女である。

INTJは分析や統計学を好むらしいので、ここは自分と同じだな、とかここはこう違うな、などINTJ女の一情報として読んでみてほしい。

 

まずINTJの女性は珍しい、と言うがまぁそうだろうな

 自分と似たような思考回路の女性は中々お目にかかれないし女子の集団に馴染めるわけがなかった。悩んでいるINTJの女子諸君はもうそこは諦めよう。多分がんばって合わせても疲れるし本当に人と付き合う意味を見出せなくなるから。

多くの女子はFである。

情があり優しく、とても感情が豊かで愛を大切にし調和や共感を求め、けれど同時に感情に飲まれて適切な判断をとれなくなることもままある。

女子は優しいし表情豊かだが妬みやすいし公私の分別がつきにくい。女子社会で生きて女子のいいところも悪いところも見てきたが多くの女子の特徴はFに由来している。(幼いうちは特に顕著だ。大人になるにつれきちんとした人はきちんと分別のつく女性に成長していく。これはあまり男女関係ないか?)

私はFの仮面をがんばってかぶろうとしたがふとしたところで素が出てしまい、他の女子と同じになれなかった。一番効率のいい手段をとったつもりが周りの子からは「冷たい」と言われる。今にして思えばその子は一緒に行動したかったけれど私が別々に動いた方が早く目的を達成できると提案したのが冷たく感じたんだろうな。要は私は情緒が足りなかった。

これが目的志向のTである。

あとちょっとした世間話とか雑談がすごく苦手だった。

そこに人がいればとりあえずなんかしゃべるっていうのが本当に難しかった。ちょっとした会話ってなんだよ、目的のない会話ってなんだよ。

でもこれもある程度会話のテクニックとフレームワークを学べばたいして苦労しなくなった。単純に雑談が苦手な人ってのはそういうロジカルな会話術を学べばどうってことないんだよな。まあしいて言えば会話が苦手な人は人に興味がないことが多い。気がする。(超主観)

 

とまぁ、こんな感じで生きていると必ず人生のどこかで自分は発達障害なのではないかという疑念が沸く。けれど私はバリバリの文系で国語の成績は一番良かった。ちゃんと検査をすれば何かしらIQに凸凹が見つかるかもしれないが、今のところ健常者である。

それよりも、私はスキゾイド(シゾイド)傾向が強いことだ。潜在的にINTJは発達障害スキゾイド、シゾイドが多いことは言うまでもない。

その辺はまた次回。

 

 

人付き合いやめたい人のブログ

思い返せば小学校入学式、登校初日から私は人生に躓いていた。


幼稚園時代はいつも一緒に帰っていた友達が別のクラスになり、はたして小学校でも一緒に帰ってくれるのだろうか、とその友達の元へ行く足をはたと止めたのが始まりだった。ここで何も考えず無邪気に「いっしょにかえろ」と別クラスの扉へ向かえるのなら、その人は多分こんなに人付き合いに、人生に、生きるのに苦労はしない。
これはそんな考えすぎて学生時代も社会人時代も家族も友達も恋人ももう人間にうんざりした人間が、どうにかこうにか生きていくためにもがきあがいた足跡を綴るブログである。たぶん。

 

 


無人島で暮らしたい。